ゲーテ『イタリア紀行』で旅するパレルモ
イタリアを旅するなら、一度は読んでみたいゲーテの『イタリア紀行』。1787〜1787年にイタリアを旅した文豪ゲーテが、鋭い観察眼でイタリアを切り取り綴った歴史的な旅エッセイです。
『シチリアのないイタリアなんて、なんの心象も残さない』と言わしめたシチリア島で、当時はシチリア王国の首都であったパレルモにも長逗留したゲーテ。彼が訪れた場所は、当時とおおよそ変わらないままに21世紀の今に息づいています。
パレルモの海岸近くに位置するヴィッラ・ジュリア(ジュリア庭園)もそのひとつ。1787年4月2日午後、シチリア島に上陸したゲーテは、ナポリからの長い船旅の疲れを癒すジュリア庭園でのひと時を記しています。月に照らされた海面を眺め、芳しい樹木の香る穏やかな春の宵の楽しさよ!
そして4月7日、再びジュリア庭園を訪れました。
”ここは世にも不思議なところ”〜Villa Giulia
原書のドイツ語で、「Es ist der wunderbarste Ort von der Welt.」(※)と記されたヴィッラ・ジュリア。一般的なイタリア語訳では、直訳で「E' il posto più meraviglioso del mondo.(世界で最も素晴らしい場所)」となっています。meravigliosoはマービュラス。素晴らしい、驚嘆する、不思議な、すごいなどの意味があり、岩波文庫版では「ここは世にも不思議なところである」と、ゲーテらしい洗練された訳に(イメージ的にはこれが合ってるかも)。
そんなヴィッラジュリアは、日本のガイドブックではあまり詳細は紹介されてはいませんが、パレルモらしさを存分に感じさせてくれる知る人ぞ知る庭園のひとつ。地元パレルモ人にも愛され大切にされています。
背の高い椰子がゆっくりと青空に揺れるその下で、ガジュマルの巨木が濃い影を作る細い小道を行けば、色とりどりの花々、不思議な形のサボテン、めくるめく多種多様な樹木。セミの声、野鳥たちの華やかな歌声。カオスなパレルモ旧市街にありながら、俗世と隔絶した桃源郷の趣が漂います。
この公園は、法則どおりに設計されているが、それでいて仙郷めいた感じがする。樹木を植えたのはさして古くはないのに、まるで古代にあるかのような思いを禁じ得ない。
ーゲーテ「イタリア紀行(中)」P.85
ゲーテが訪れたのは、1787年。ヴィッラ・ジュリアは、1777〜1778年にかけて建設されたので、オープニングからたった10年の出来立てホヤホヤの時期に訪れていますが、今も(多分)その仙郷めいた雰囲気は変わっていないかもしれません。
幾何学模様の庭園に歴史建造物がアクセント
ヴィッラ・ジュリアは、当時のパレルモの市長アントニオ・ラ・グルア侯爵の依頼により、建築家ニコロ・パルマが設計。名称はスペイン副王マルカントニオ・コロンナの妻、ジュリア・ダヴォラス・グエヴァーラ副女王が由来です。
幾何学模様の庭園は、上から見ると羅針盤(ローザ・デイ・ヴェンティ Rosa dei venti)を模しており、”周囲から必ず中央に戻る”設計になっています。
中央には小さなパレルモの数学者ロレンツォ・フェデリチが企画した12面体の日時計を抱える小さなアトラス。その周囲を、ポリテアマ劇場の設計者ジュゼッペ・ダミアーニ・アルメイダによる4つの音楽堂「エクセドラ」が囲んでいます。(19世紀に増築)。
パレルモの古代守護神であるジェニオ・ディ・パレルモの彫像が見事な噴水は、18世紀建築時のもの。ラテン語で”パレルモはパラスとチェレスから、蛇(賢さ)とワシ(偉大)、そして犬(忠実)を授かった”(イタリア語:Palermo ha avuto in dono da Pallade e Cerere il serpente saggio l'aquila augusta e il cane fedele)と記されています。
パレルモといえば、まだマフィアのイメージが強いのが残念ですが、その3千年に渡る長い歴史に培われた豊かな文化が宿る街でもあり、きらめく太陽と穏やかな地中海の恩恵を存分に受けている街であることを改めて知る場所でもあるのです。そう、まさにPalermo Felix(幸せなパレルモ)。
カオスな街歩きの途中に立ち寄って、ゲーテのように幸せを感じるひと時を過ごしてみるのもオススメです。
パレルモ暮らしのヴィッラ・ジュリア